共有から共考へ。問題との距離が変わる

02/12/2015 デザインと情報

答えてくれるのは、グーグルでもフェイスブックでも人工知能でもないようです。

問いと答えの距離はどれほどか

たくさんの解決方法があっても、解けない問題はあちらこちらで山積み。そもそも問題にすら出会ないままなんてことも日々起きています。同じ解くべき問題があったとしても、関わる全ての人物が舞台に揃うことは難しいこと。

検索では見つからない、はかれない。答えを引き出しやすい「よい出題」をつくる必要がありました。

人口知能との距離のとり方

考えるべき課題に人工知能はどうにか滑り込んでくるでしょう。AIというのは小難しいやつとは限りません。

考えるべきものごとがますます増え続けています。いずれ「よい出題」を人工知能はつくりだします。

個人化する法人。「私」と「ワタシ」の距離

コンシューマーとしての個が強くなり、企業と個人との距離は大きく変わりました。ある職場に強い個性の私がいるとして、それはふだんのワタシとも同一であり、仕事の自分とプライベートの自分をどうわけようとも切り離せないようです。巨大な企業もたくさんの個人の集合でしかありません。

どうやらユーザーや顧客と言ってはいるものの、距離を縮めるきっかけは個人の感覚が大きく担ってきました。

見えないものとの距離

相手が誰かよくわからずに取り組む際には、見えないものを見えるようにする必要があります。顔の見えない隣人に正しく届いたか、データから導かれたその答えは正しいか、体験から導かれたその答えは正しいか。

距離を縮める努力はそもそもずれていなかいか。シンプルだからこそ多角的に測ります。

隣人の顔が見えぬまま、地域との距離が近くなった

ネットにおいて、届けるべき人は以前よりも近くすぐ目の前にいます。リアルからネットへ適用された思考や手法はもう一度リアルに還元されていきます。

ネットとリアルの関係はいつだって少し狂った歯車です。

日々の問題を共考する距離

問いが乱立する時代。解法も様々。仕掛けをつくる、考える場をつくる、ささえてみる。動的な思考で多くを進めるようになりました。

わたしたちは問題に出会いやすくなったぶん、解けないことも多くなりました。共有の先にある、共に考えていく舞台は用意されたでしょうか。リアルにもネットにもまだない場をつくりだすことができるのでしょうか。

どうやら考え方や取り組み方自体を一緒に考えていくことを求められている、そんな今にいます。